明治の時代には飛騨から岡谷の製糸工場へ出稼に大勢の娘達が野麦峠を越して村内を通り、稲核へ出て波田から塩尻を経て塩尻峠を越えて往き来し、野麦街道も一層の賑わいがあった。
川浦は宿場として栄えた集落であった。工女宿は、扇屋、桂屋、宝来屋、吉野屋、問屋の五軒あった。春挽の始まる頃岡谷へ出掛け一年間働いて年の暮れに帰るのであった。この頃は製糸工場の仕事は休みがなく、年に一度の諏訪湖祭りが年休となっていただけに楽しみであったといわれていた。
工女が役場前や古宿の坂道を通るのをよく見かけたが、10人、20人、30人、50人とそれぞれの組ごとに往き来した。工女は若いし支度が派手でこの行列を見物することも多くあった。
工女達は紫のおこそ頭巾をかぶり、カスリの着物の裾を折り上げ赤い腰巻きを下げ、絹の白脚絆に白足袋で紙まきのわらじをはき、絹の手こうに手袋をはめ、肩に三角に折った布をかけ、行李を背負っていた。髪は桃割れに結っていたし皆がにたような支度であった。
(抜粋:奈川村史 歴史編より)
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