飛騨高山と信州奈川の境に位置する野麦峠は標高千六百七十二メートル。この峠をまたぐ野麦街道は鎌倉街道、江戸街道とも呼ばれ、江戸へと続く重要な路でありました。

明治・大正の時代になると飛騨のたくさんの若い娘が野麦峠を超え諏訪や岡谷の製糸工場へ出稼ぎに行き、厳しい峠や劣悪な労働条件の工場で繰り返された悲劇は小説や映画となり、全国に知られることになります。

女工哀史とは

明治から大正、昭和初期にかけて、飛騨の農家の娘(多くは10代)たちが、野麦峠を越えて諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出た。吹雪の中を危険な峠雪道を越え、また劣悪な環境の元で命を削りながら、当時の富国強兵の国策において有力な貿易品であった生糸の生産を支えた女性工員たちの姿を伝えた。

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