飛騨高山と信州奈川の境に位置する野麦峠は標高千六百七十二メートル。この峠をまたぐ野麦街道は鎌倉街道、江戸街道とも呼ばれ、江戸へと続く重要な路でありました。
明治・大正の時代になると飛騨のたくさんの若い娘が野麦峠を超え諏訪や岡谷の製糸工場へ出稼ぎに行き、厳しい峠や劣悪な労働条件の工場で繰り返された悲劇は小説や映画となり、全国に知られることになります。
古来から野麦街道があり、能登で取れたブリを飛騨を経由して信州へと運ぶ道筋であった。信州では飛騨ブリとして珍重され、能登では1尾の値段が米1斗であるものが、峠を越えると米1俵になると言われた。
明治の初めから大正にかけて、当時の主力輸出産業であった生糸工業で発展していた諏訪地方の岡谷へ、飛騨の女性(多くは10代の少女)が女工として働くためにこの峠を越えた。この史実は1968年に発表された山本茂実(やまもと・しげみ)の小説『あゝ野麦峠』で全国的に有名になった。
北に乗鞍岳、南に御嶽山が望まれ景観が素晴らしい。
乗鞍岳の北を越える安房峠(国道158号)に安房トンネル(中部縦貫自動車道の一部)が開通したことから、高山と松本を結ぶ交通路としての役目はすでにない。また木曽方面へも鎌ヶ峰の南の長峰峠(国道361号)が主要道路となったので、現在は観光道路としての往来が主である。また日本の秘境100選の一つに選ばれている。
旧・野麦街道
岐阜県側は県立自然公園として旧街道を利用したハイキングコースが整備されると共に峠の資料館「野麦峠の館」などが置かれており、長野県側では県史跡として旧街道の一部を保存している。











